本記事では「文ストの中島敦と芥川龍之介の関係は仲良し?史実ではどうだった?」と題しまして
- 文ストの中島敦と芥川龍之介の関係は仲良しなのか?
- 文ストの中島敦と芥川龍之介は史実ではどんな関係だったのか?
以上について紹介していきたいと思います。
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文ストの中島敦と芥川龍之介の関係は仲良し?
新しい配信用のコラ画像
僕のセンス的にこれ以上の物は作れなかった……
文ストの中島敦と芥川龍之介の共闘シーンほんとに好き pic.twitter.com/Zm4DUr9vWd— 猫零 (@ZEROttenandayo) May 13, 2021
文豪ストレイドッグスで、敦芥(あつあく)という呼び名でカップリングが作られていてとても人気が高い、中島敦と芥川龍之介。
そんな文ストの中島敦と芥川龍之介の関係は、文ストの物語の中では仲良しなのでしょうか?
その答えを先にお伝えすると…
文ストの中島敦と芥川龍之介は
仲良しではないが最終的に分かり合える関係になった!
文ストの中島敦と芥川龍之介は、最初は敵同士でしたが様々な出来事がある中で、仲良しよまではいきませんが、徐々に分かり合える関係になりました!
ではそんな文ストの中島敦と芥川龍之介の関係が分かる出来事がこちら▼
- 中島敦を一方的に攻撃する芥川龍之介
- 太宰治という二人の争いの原点
- 共闘で見せる見事な連携と異能を合わせた技
では、中島敦と芥川龍之介はどんな関係だったのか?
上記で挙げた3つの出来事から、文ストの中島敦と芥川龍之介の関係を深堀りしたいと思います!
関係①中島敦を一方的に攻撃する芥川龍之介
中島敦の首にかけられた懸賞金を狙っていた芥川龍之介。
そんな中島敦と芥川龍之との関係は、文ストの物語の最初は「獲物とハンター」のような関係でした。
中島敦の異能は「月下獣」で大型の虎に変身するものです。
銃弾も通さない頑丈な皮膚と人間離れした俊敏性、そして体の一部を失っても瞬時に復元される驚異的な回復能力を持っています。
中島敦本人は気弱で優しい性格をしていますが、異能は本人の意思とは関係なく、月の光を浴びた時と感情が高ぶった時に変身してしまいます。
気の赴くままに暴れて、周囲に甚大な被害をもたらしていたようですが、中島敦自身もその時の記憶はありませんでした。
その凶暴性から多額の賞金を懸けられることとなり、芥川龍之介が中島敦にかけられた多額の賞金を狙って来たということですね。
ふと現れたかと思うと「中島敦は存在するだけでで周囲を巻き込む」とはっきり言って、異能力で攻撃してくる芥川龍之介。
中島敦は周囲を巻き込むことをいとわない、容赦のない芥川龍之介の攻撃におびえる結果になっています。
しかし、その時中島敦を助けたひとり、武装探偵社の上司である太宰治は芥川龍之介の師であり生きる意味でもありました。
武装探偵社として民間の助けになっている太宰治ですが、もとはポートマフィアの幹部で、芥川龍之介をここまで強くしたのは彼の腕によるものです。
芥川龍之介は、自分には厳しかった太宰治が中島敦を気にかけていることが許せないのか、中島敦にはさらに容赦なく攻撃することとなります。
関係②太宰治という芥川龍之介と中島敦の争いの原点
いつもニコニコしている太宰治ですが、常に人をくったような態度なのと大の自殺好きという変わった一面を持っています。
太宰治は、ある日いきなり武装探偵社の創設者である福沢諭吉が連れてきて入社となりました。
そんな太宰治は一切の経歴が不明とされており、その時点で異様な存在でしたが、何せ自殺好き。
教育係りとなった国木田独歩がストレスのあまり胃薬を飲むほどに…。
芥川龍之介が中島敦を容赦なく執拗に攻撃する原因になったこの太宰治です。
芥川龍之介が中島敦を狙ったのはもちろん賞金首であったためですが、容赦なくしつこく攻撃したのは、太宰治に気にかけられている中島敦が気に入らないからに他なりません。
芥川龍之介はもともと孤児で、太宰治の誘いでポートマフィアへと加入します。
当時の太宰治は冷酷無比で、芥川龍之介への躾はそうとう厳しかったよう。
そのおかげで芥川龍之介に対しては、武装探偵社の人間が「会ったら逃げろ」と新人に警告しておくくらい強くなりました。
それでも生きる意味を持っていられるのは太宰治の存在があるからというくらい、芥川龍之介は太宰治に妄信しています。
一方の中島敦も孤児院育ち。
そんな中島敦は太宰治の手引きによって武装探偵社に入社します。
自分が武装探偵社に引き入れたためか、他にも理由があるのか、太宰治は中島敦に対してとても気にかけている様子です。
太宰治は芥川龍之介の胸中を知ってか知らずか、芥川龍之介に「中島敦は君より優秀だよ」と言い放ちました。
太宰治には芥川龍之介は叱ると伸びるタイプ、中島敦は褒めて伸びるタイプと気付いていたからこのような発言をしたようです!
だからといって芥川龍之介を挑発するのは中島敦にとって恐怖でしかないでしょうに。
太宰治が芥川龍之介に接していた時の厳しさがどんなものなのかがはっきりしましたね。
関係③共闘で見せる見事な連携と二人の異能を合わせた技
初対面の時にあった気持ちが根付いているためか、2度目にあった時には芥川龍之介に完全に怯えていた中島敦。
しかしその場に一緒にいた泉鏡花を助ける為、中島敦は芥川龍之介と対峙することを決意します。
その時に言った「だれかに生きてていいと言われない限り、人は生きていけない」という言葉がずいぶん芥川龍之介に刺さったようですね。
最強に等しい評価を持つ芥川龍之介ですが、マフィア、武装探偵社と三つ巴となって争うことになった「ギルド」のふたりに敗北ぎりぎりまで追い詰められてしまいます。
同時刻、中島敦もギルドの団長と戦っており、何とか逃げ延びた芥川龍之介と違い、立ち上がれませんでした。
芥川龍之介はそんな中島敦を見下ろし、敦を憎む理由が「自分の悲惨な人生に浸るばかなやつだからだ」と言い放ちます。
芥川龍之介は異能力に恵まれ、出会いに恵まれ、太宰治に認められながらもびくびく生きている中島敦が気に入らなかったようです。
生きる意味として太宰治に固執していたからではなかったのですね。
そんな芥川龍之介の叫びに中島敦も再び立ち上がります。
そうして中島敦と芥川龍之介の共闘が始まり、お互いの異能を知り尽くしてるからこその連携は上手く機能しました。
この時に二人の異能を合わせた「月下獣羅生門 虎叢(げっかじゅうらしょうもん とらむらくも)」が出来上がります。
単独での攻撃型であった芥川龍之介がずっと支援に回るところを見ると、こちらも中島敦に関わって成長したのだろうなと思ってしまいます。
戦いが終わった後も中島敦と芥川龍之介が笑顔を見せ合うなどというシーンはありません。
互いに憎まれ口ばかりですが、確かな信頼関係が中島敦と芥川龍之介にあるのは分かりますね。
これまでの経緯を知っているだけに、感慨深いものがあります。
文ストの中島敦と芥川龍之介は史実ではどんな関係だったのか?
文ストが好きな長女が中島敦と芥川龍之介を読みたいと言うので、押し入れの天袋から段ボールを下ろして出した。ホコリでくしゃみが…いや花粉か!?どっちでもいいわ(笑)
学生時代に買った本、ページをパラパラ捲ったら字体や字の大きさが今と違うのね。 pic.twitter.com/QQt8reHLBm— 🌳いくこ🌳 (@ikukkoo) February 24, 2021
同じ明治から昭和の時代を生きていた文豪の中島敦と芥川龍之介ですが、史実では出会うことはあったのでしょうか?
その答えはというと…
中島敦と芥川龍之介は
史実では出会っていなかった!
史実での中島敦と芥川龍之介は、ともに突出した頭脳の持ち主でした。
そして、同じ東京帝国大学卒業の経歴を持っていますが、同じころには通っていませんし、会う機会はなかったようです。
それでも「文スト」では中島敦と芥川龍之介は人気のカップリングを作っているのですから、魅力的な共通点があったのでしょうね。
では、なぜ中島敦と芥川龍之介は史実では出会わなかったのか?
引き続き、史実で中島敦と芥川龍之介が出会わなかった理由と共通点を考察していきます!
2人はなぜ出会わなかったのか
史実での芥川龍之介は1892年(明治25年)生まれで、高校在学中に中島敦は生まれています。
中島敦が生まれた1909年から芥川龍之介が亡くなる1927年までの18年間は同じ時間枠にいたことになります。
それでも史実で中島敦と芥川龍之介が出会うことはありませんでした。
中島敦と芥川龍之介は同じ東京生まれです。
しかし中島敦は6歳から東京を離れ、埼玉に移っています。
その後も父親の転勤について埼玉から奈良、奈良から静岡に引っ越して、小学5年の時には植民地であった朝鮮で暮らしています。
高校入学と同時に日本に単独帰国していますが、その時には芥川龍之介は精神虚弱状態で、翌年には亡くなっています。
なので史実で中島敦と芥川龍之介が出会うことがなかったのは「会う機会が全く無かったから出会えなかった」と考えられますね!
芥川龍之介と中島敦の共通点
出会うことはなかった二人で学生時代から作品が高く評価されていた芥川龍之介と、なかなか目が出なかった中島敦ですが、意外にも共通点はあるようです。
中島敦と芥川龍之介は物心つく前に母親と別れていて、祖母や叔母に育てられています。
中島敦は5歳になるころから父親の再婚に合わせて一緒に暮らしていて、芥川龍之介は6歳の時に正式に叔母夫婦の養子になっているところは違うところでしょう。
ですが、どちらも新しい家族とは上手くいっておらず、深い孤独の中で育ったようです。
突出して頭の良かった中島敦と芥川龍之介は、共に東京帝国大学卒業です。
作風は、ともに古典文学の流れを使って創作しています。
その中で中島敦は自我や人間存在の不条理を追究し、生のありようを追求したもの。
芥川龍之介は、人が生きていくうえで、必ず付きまとう苦悩、あるいは人のエゴイズムや欲望を主題としています。
若くして生涯を終えたことも同じですね。
亡くなった年齢も不思議なほど近いです。
ただ、最期は真逆だったようです。
晩年では、芥川龍之介は「漠然とした不安」から自死を選んでいます。
一方、中島敦は病状が悪化し、病床で「書きたい」と言いながら息を引き取ったそう。
これだけ似ていて真逆の最後というのは「似て非なる」という気持ちをくすぐる言葉がぴったり当てはまりますね。
まとめ
最後に本記事「文ストの中島敦と芥川龍之介の関係は仲良し?史実ではどうだった?」で紹介したことをおさらいしていきましょう。
芥が隆之介と中島敦の関係は仲良し❔
- 中島敦を一方的に攻撃する芥川龍之介
- 二人の争いの原点である太宰治
- 共闘で見せる見事な連携と異能を合わせた技
文ストの中島敦と芥川龍之介は史実ではどんな関係だったの?❔
- ふたりはなぜ出会わなかったの?
- ふたりに共通点はある?
「文スト」の中島敦と芥川龍之介は似たような境遇で育ちながらも全く違う二人に育ち、絶悪な関係から確かな信頼県警を結ぶまでになりました。
実際の中島敦と芥川龍之介も、出会っていれば反発しつつも切磋琢磨しあう仲になれたかもしれませんね。
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